写真連載『組体操BOYS』 vol.03
写真連載『組体操BOYS』 vol.03
“組体操BOYS vol.3”
「表参道に組体操BOYS現る! 大至急来てくれ」。そんなメールが届いた校了明けの昼下がり。
今、まさにお手製アサイーボウルを食べようとスプーンに手をかけたときのことだった。
あいつらめ……。
僕は確かに約束を交わした。今後パフォーマンスを行うときは必ず連絡をくれと。
だがしかし結果はこれ。見事に裏切られたカタチだ。やつらをこらしめてやりたい。思いきりぶん殴ってやろうか。怒りがこみ上げるも、そんな感情はものの数分で覆ってしまった。

一糸乱れぬ陣形から繰り出されるエネルギッシュなパフォーマンス。物怖じしない強いハート。
“引かない媚びない省みない”そんな神出鬼没のゲリラ集団。そうだ、これが組体操BOYSなのだ。
もう何も言わない。何も期待しない。
さぁ思う存分見てやってほしい、誰に捧げるでもない彼らの彼らによる彼らのための演技を!


写真連載『組体操BOYS』 vol.03

「SEIRETSU2」 組体操BOYS×7


写真連載『組体操BOYS』 vol.03

「KIBASEN PARKING」 組体操BOYS×4


写真連載『組体操BOYS』 vol.03

「KIBASEN DRIVE THROUGH」 組体操BOYS×4


写真連載『組体操BOYS』 vol.03

「3TEN TOURITSU」 組体操BOYS×6


写真連載『組体操BOYS』 vol.03

「CONTEMPORARY DANCE」 組体操BOYS×7


写真連載『組体操BOYS』 vol.03

「KAIDAN DASH」 組体操BOYS×6


写真連載『組体操BOYS』 vol.03

「SCRUM」 組体操BOYS×7


写真連載『組体操BOYS』 vol.03

「THE TOWER」 組体操BOYS×5


※不定期連載で随時更新予定(彼らのパフォーマンスが続く限り)。

edit&text/吉田亀吉

DJ嶋田のぶんぶんのポップス50音順 第4回「え」
DJ嶋田のぶんぶんのポップス50音順 第4回「え」
地方都市和歌山を拠点に活動する私的シティポップDJ・嶋田のぶんぶん。
彼が愛してやまない国産ポップスを50音順に紹介する連載エッセイ。
NYやイビザにいるDJの名前を自慢げに並べ立てる奴と
自国の音楽を哀愁と羞恥とリスペクトをもって語れる奴、
どっちが愛せるかっていったら、わかるよね?
つまりそういうお話。
  • 文/ DJ嶋田のぶんぶん
  • 編集・題字 / 山若将也

退屈なこの街を抜けだして駆け出そう、 郊外のイオンモールまで、
和歌山シティから今晩はあなただけに。

「あ」からはじまり「ん」で終わるまで50音順に、
その文字からはじまるいなせなポップソングの
いなせなグルーヴをお届けするこの連載。

お相手はもちろん、 過去にいなせなバーで知り合い、
いなせな一夜を過ごした女性に数日後電話をかけるも音信不通の後、
おもむろにTwitterを開いて見ればTL上に、かの女性のツイート
「忘れたい思い出が追いかけてくる(●^o^●)」(原文ママ)を
発見した私、 忘れたい過去a.k.a.DJ嶋田のぶんぶんです。

「Do you do you remember me?」(By岡崎友紀)

「忘れたくない思い出が消えかけている それは悲劇だと思うよ」
これは、ゆらゆら帝国による カーペンターズ
「イエスタデイ・ワンス・モア」の 日本語カヴァー冒頭の名訳。
とは言うものの、 忘れたくない思い出も、その逆に
思い出したくもない過去も、
月日がたてば自然と忘れてしまうもの。

なぜなら「人間は忘れるようにできているのです」そして、
「この『忘れる能力』というのは『救い』です
という瀬戸内寂聴師のお言葉をスピン!

そう、忘れるということは「救い」なのです。
むしろ、私たちは救われるためにいそいそと
様々な出来事を忘れていかなければならない。

私は、「オイ、ボケ、コラ」
(意訳:とうに締め切りは過ぎていますが、原稿はまだですか?)

というMOUTAKUSANDA!!!編集部からのお便りが 一月ほど前から
断続的に届いていたことを忘れて、救われます。
そうぞ、編集部の皆さんにおきましては、

「ケ・セラ・セラ」
(意訳:お便りありがとう。あと数行で終わるから、明日送るね)

という回答が毎度間髪いれずに
返って来た事実を忘れて救われてください。

その他の人は、昔綴った古いmixi日記の存在や、
「*空を見る人*」「間取り図大好き!」みたいな
コミュニティに 参加していたことを忘れて救われてください。

しかし、「マイミクであらねば人であらず」と
謳われた日々も、 気付けばはるか忘却の彼方の
2014年最初の「DJ嶋田のぶんぶんのポップス50音順」
第3回「う」から約ひと月後の、第4回は「え」!
歌うは昭和の喜劇王、榎本健一。お聴きください
「エノケンの月光値千金(げっこうあたいせんきん)」。

ラグタイムと呼ぶべきポリドール・リズム・ボーイズの
ちょっといなたい小粋な演奏にのせて、
カラッと陽気ありながらどこか諦観のようにも
響く独特の笑い声とともに
いなせな男のいなせな恋の、
そのいなせな顛末(オチ)が 語られるこの曲。

「月光値千金」というタイトルながらも
歌詞の中に月光、すなわち月の光が
(それを連想させる言葉も含めて)一切登場しないところが
「エノケン”の月光値千金」である所以。

オリジナルは1928年にアメリカで楽譜が出版された
「Get Out And Get Under The Moon」というジャズ・ソング。
それに「月光値千金」という邦題を冠して、
同年の12月には早くも戦前を代表する
ジャズ・シンガー 天野喜代子がレコード録音を行っております。

以来、玉石混合、多種多様なジャズ・シンガーが
同じく多種多様な訳詞で歌った結果「月光値千金」は
戦前を代表する 「和ジャズ・ソング」に相成ったわけでございますが
本国アメリカにおいてこの曲が ジャズの
スタンダードとして認知されるようになったのは、
出版から30年後、ドリス・デイやナット・キング・コールが
自身のアルバムで取り上げて以降のことだそう。

過去の記憶として、忘れさられん運命にあった楽曲が、
再び日の目を見たという塩梅でございましょうか。


…というところまでMOUTAKUSANADA!!!編集部に奉納したところ、
「オモ・ン・ナイ」
(意訳:ちょっと文章が固いですね)
と怒られましたが、気にしない。

そう、固いの! わしは本当は固いの!
「DJ嶋田のぶんぶんは固い」ということを、是非とも読者の皆様には覚えておいていただきたい。
件(くだん)の女性と、いなせな夜も明けた早朝 最後に交わした会話は

「ごめんね…」
「全然いーでー(ED)」でした。 ⇒「忘れたい思い出」へ(実話)。

グッナイ!
いい夢見ろよな!


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写真連載『組体操BOYS』 vol.02
写真連載『組体操BOYS』 vol.02
“組体操BOYS vol.2”
幸か不幸か、編集部が彼らを発見して以来、
「マジデドウカシテル」「興味深いけど私には関わらないでほしい」「スネ毛キモい」
そんな問い合わせが後を絶たない。
ほかにも、「ブルマGIRLSはまだ?」「新種のホモサピエンスとして学会で発表したい」など、
クレイジーな意見も多く寄せられている。

もちろん組体操BOYSにもそのことを伝えようとしたけれど、全員遠い目をしたまま、
涅槃に達した修行僧のような表情で街へと駆け出していった。
"いまは黙って俺たちの渾身の演技を見てくれ”
まるで、そう言っているような彼らの白い背中を追いかけるうちに、ひとつの仮説が頭に浮かんだ。

ひょっとしたら、彼らはあの日の続きをしているんじゃなかろうか?
“区切られた校庭で、暖かい家族に見守られ行う予定調和なパフォーマンスなんてモウタクサンダ!!!”
そう言って、せまいグラウンドからハダシで飛び出したあの運動会の日の延長戦。
二度目の本番の真っ最中なのかもしれない――。


写真連載『組体操BOYS』 vol.02

「HIKOUKI」×2 組体操BOYS×6


写真連載『組体操BOYS』 vol.02

「BRIDGH」×3 組体操BOYS×6


写真連載『組体操BOYS』 vol.02

「SABOTEN」×2 組体操BOYS×4


写真連載『組体操BOYS』 vol.02

「MAENINARAE」組体操BOYS×7


写真連載『組体操BOYS』 vol.02

「OVER THE KABE」 組体操BOYS×8


写真連載『組体操BOYS』 vol.02

「SUPER JUMP」組体操BOYS×8


写真連載『組体操BOYS』 vol.02

「SABOTEN2」組体操BOYS×2


※不定期連載で随時更新予定(彼らのパフォーマンスが続く限り)。

写真連載『組体操BOYS』 vol.01

edit&text/吉田亀吉

「MARU presents “Energetic Crews” 3rd」MOUTAKUSANDA!!! PEOPLE vol.2
「MARU presents “Energetic Crews” 3rd」MOUTAKUSANDA!!! PEOPLE vol.2
今回は東京で活躍するクリエイターたちのコミュニティ「MARU」の
レギュラーイベントに、フォトグラファーのnanaこと七咲友梨を連れて潜入した。

彼女は丸3日分の退屈を解放するみたいにはしゃいで
好き放題人を捕まえて撮影するもんだから、
ヒマを持て余した俺はラムコークばかり飲んでいたんだ。

おかげでたっぷり酔っぱらってよく覚えてないんだけど、
この夜出会ったのはもれなく奇人変人だった気がするし、
なぜか大量のじゃがバターをたいらげた記憶もあるんだけど、
何か別のいいもの食べて勘違いしたのかな?

そんなクレイジーな夜にひとついいニュースがあるとしたら、
このイベントのvol.4が1/18に開催されるってこと。

彼らに会って、直接感謝と苦情を申し立てるチャンスだから、
よかったらみんな協力してほしい。
「こんな最高に楽しい夜はモウタクサンダ!!!」って。

大したお礼はできないけど、良くも悪くも忘れられない時間は提供できそうだよ。
ここに写っている、とびきりチャーミングで自由奔放な大人たちを見たら、異論はないよね?

  • Edit&Text / 山若将也
  • Photography / 七咲友梨
  • Special Thanks/MARU

Emerald(DJ)

「MARU presents “Energetic Crews” 3rd」MOUTAKUSANDA!!! PEOPLE vol.2

例えば今日みたいにハメを外したい夜は、2次会風のパーティールックで変装すべきだ。
「結婚式だから」「めでたい日だから」ってフリをしておけば、
大抵のことは許してもらえるから。遊び慣れた大人の知恵だよね。

83点


新之助(リーディングマスター)

「MARU presents “Energetic Crews” 3rd」MOUTAKUSANDA!!! PEOPLE vol.2

彼に辿り着く方法はこうだ。
3番街の公園で赤い風船を持ったホームレスに公衆電話の場所を聞いたら、
そこで420にダイヤルする。繋がった先のバーのトイレ、奥から2つ目のドアをノックしろ。
っていうことはなくて、彼のHPからいつでもアクセスできるから安心して。

28点


Mr.RECEPTION(エントランス)

「MARU presents “Energetic Crews” 3rd」MOUTAKUSANDA!!! PEOPLE vol.2

両手じゃ足りなくて口まで使って働くビジーな彼に同情していたら、
フォトグラファーnanaは嬉しそうにこう言い放った。
「食いしん坊の子供みたいだね」って。そりゃないよね。

9点


イサオ&メグ(猛獣&猛獣使い)

「MARU presents “Energetic Crews” 3rd」MOUTAKUSANDA!!! PEOPLE vol.2

 ジャングルでは迷彩で身を隠すべきだと思っていたけど、逆に限界まで目立つことで、
自らが猛獣になるっていう解決法があったなんて。
おまけにこんなにキュートな猛獣使いまでおびき寄せられるのなら、文句はないよ。

31点


Wata Igarashi(ミュージシャン)

「MARU presents “Energetic Crews” 3rd」MOUTAKUSANDA!!! PEOPLE vol.2

君がうまいじゃがいもを食べたくなって
彼のウェブサイトにアクセスするのは賢い方法じゃないけど、とびきりの
テクノミュージックを探してるなら、かなり悪くないチョイスだと思うよ。
深夜のパーティーが面白い理由は、じゃがバター職人のフリしたスゴ腕のDJがいるってことかもね。

33点


NICO & AOI(ダンサー)

「MARU presents “Energetic Crews” 3rd」MOUTAKUSANDA!!! PEOPLE vol.2

信じられる? キスしてよって言ったら、本当にしてくれたんだ。
奇跡を目の当たりにして俺が感動している間に、nanaは
さらにディープキスをリクエストしていた。
彼女のずうずうしさにこそ本当の奇跡を見た気がしたよ。

73点(nanaは5点)


カナエ(WEBデザイナー)

「MARU presents “Energetic Crews” 3rd」MOUTAKUSANDA!!! PEOPLE vol.2

たったひとりでも、物欲しそうに見つめてくれるオーディエンスがいれば
代官山の地下街だって、ランウェイみたいなものなんだ。

81点


アイ(舞台袖)

「MARU presents “Energetic Crews” 3rd」MOUTAKUSANDA!!! PEOPLE vol.2

ある筋の情報によると、彼女は深夜2時ごろに
楽しそうなことが起こると舞台袖に現れるタイプの妖怪っていう話だった気がする。

27点


ツヨシ(とびら)

「MARU presents “Energetic Crews” 3rd」MOUTAKUSANDA!!! PEOPLE vol.2

頭の中に花畑級のビジョンが見えているはずの彼に、
「俺もそっち側に連れてってよ」って頼んだらこっそり店の場所を教えてくれたんだ。
http://tobira.asia/
64点


大島エレク総業(デコレーションアーティスト)

「MARU presents “Energetic Crews” 3rd」MOUTAKUSANDA!!! PEOPLE vol.2

このデコレーション、アシッドをキメたときに見えるあれがモチーフなのかって
聞き忘れたから、彼のエキシビジョンに行って問い詰めてみることにしよう。
http://atombox.jp/elec/#schedule

63点


太田P(プロデューサー)

「MARU presents “Energetic Crews” 3rd」MOUTAKUSANDA!!! PEOPLE vol.2

どうやら遊びの達人の条件っていうのは、M字型のオブジェを発見した瞬間、
間違いなく最高のポーズをキメられることみたい。

38点


MASASHI TATENO(HAIR&MAKE UPアーティスト)

「MARU presents “Energetic Crews” 3rd」MOUTAKUSANDA!!! PEOPLE vol.2

キヤノン5DとiPhoneカメラの対決が勝負にならないって判断するのはまだ早いんじゃないかな。

「MARU presents “Energetic Crews” 3rd」MOUTAKUSANDA!!! PEOPLE vol.2

だってほら、この笑顔を見てよ。

「MARU presents “Energetic Crews” 3rd」MOUTAKUSANDA!!! PEOPLE vol.2

写真を撮りにきた俺たちがいつのまにか被写体にされてるんだから。
彼にiPhoneを持たせたらテリー・リチャードソン並だって思ったよ。
ちなみに彼はどんなときもiPhoneを手放さないから、そろそろテリーも覚悟すべきだよね。

71点

映画監督リム・カーワイ インタビュー エゴイストとして生きる覚悟
映画監督リム・カーワイ インタビュー エゴイストとして生きる覚悟
みんな、今年の抱負はもう決まった?
MOUTAKUSANDA!!! 編集部でも何か考えようって
話になったんだけど、なかなか決まらなくて。

考えてみたら当たり前の話だよね、映画の趣味はもちろん、
本棚にある写真集のラインナップも、お世話になったポルノスターも、
パンにぬるジャムの味さえもバラバラなんだから。

ハナからひとつにまとめるのはちょっと無理があった。
ただ、この自分勝手なメンバーでも、嫌いなことだけは共通していて。
自分に言い訳だけはしないってみんな口を揃えて言っている。

「もういい歳だからやめておこう」

正直これまで何度も頭をよぎったことはあったけれど、どうやらそれはダサい言い訳で、
エキサイティングな人生を送りたい僕たちにとっては、ただの邪魔にしかならないみたい。

そんなモットーに確信を持てたのも、
スペシャルなタイミングで面白い人に出会えたから。

その人物は映画監督のリム・カーワイ。
彼は中国・日本・マレーシアなどを漂流するノマド映画作家で、自称「シネマ・ドリフター」。
もともとサラリーマンだったけど30才で脱サラ、その後、映画監督になると決め有言実行した人らしい。

とにかくインタビューを読んでみてほしい。
きっとダサい言い訳をする時間があったら、
動き出すべきだって思えるはずだから。

もし読み終えたら、オーディトリウム渋谷か、池袋シネマ・ロサに出かける準備を。
彼の最新作『恋するミナミ』が公開中だからね。

東京公開は17日まで。
その間、彼は毎日劇場にいるらしいから、
万が一このインタビューじゃ満足できないっていう人がいたら、
彼に会って直接話を聞いてみてよ?

  • 撮影/七咲友梨
  • インタビュー・文/霜嵜和敏
  • 構成/山若将也

みじめでもけなされても僕には自由に生きる“覚悟”がある。
みなさんは自分らしく生きていますか?

映画監督リム・カーワイ インタビュー エゴイストとして生きる覚悟

INTERVIEW

人生は一度きり。
自分のやりたいことをやらずには死にきれない。

「Fly Me To Minami 恋するミナミ」公開おめでとうございます。

リム・カーワイ(以下リム): ありがとうございます。演者、スタッフをはじめ、さまざまな方々の協力のもと無事公開を迎えることができてうれしい限りです。

監督はサラリーマンを辞めて映画の世界へ飛び込んだんですよね。今日はそんな監督の生き方について聞きたいと思ってます。映画監督として活動するまでにどのような経緯があったのですか?

リム: 僕は日本の大学を卒業してから、エンジニアとして東京で働いていました。だけど一日中モニターとにらめっこするだけで。人と話すことが大好きな僕には退屈な仕事でした。入社する前はもっと人とかかわれる仕事だと思っていましたからね。そこに6年務めました。

それはちょっとつらいですね。でもよく6年も続きましたね。

リム: 10年日本に住むと永住権が申請できるんですよ。手続きに1年かかるので計11年ですね。本当は3年目のときに辞めようと考えていたんですが、その時点で日本での生活は8年経っていて。ここで辞めたらもったいないと。だからあと3年は頑張ろうと思っていました。

永住権を取得したらあとは自分の好きなことをしようと。それまでは我慢しようという時期があったんですね。そのときから映画監督になろうと?

リム: いやいや。僕は映画が本当に大好きで、数えきれないほどの作品を観てきた“シネフィル”、いわゆるオタクではありましたが、さすがに撮ろうとまでは思ってませんでした。

かなりの映画狂だったと。

リム: 会社に入ってからも年間300~400本の映画を劇場に観に行ってましたから。みんな残業していたけど僕はしなかった。いかに働いてなかったか(笑)。終業時間ジャストに帰って、映画館に出かけるのが日課。あと有休を使って映画祭に出かけたり。1週間休みをとって釜山映画祭に行ったりもしてました。

映画監督リム・カーワイ インタビュー エゴイストとして生きる覚悟

映画を観るために働いてるような毎日ですね。で、なぜそこから映画監督の道を?

リム: まさにそう。それで3年目になって会社がいよいよつまらなくなり、転職を考えはじめて。でも、いざ転職となると何の仕事がしたいのかもわからない。エンジニアのスキルはあるけれどそれでいいのか。違う会社に入ってまた同じようなことになっても嫌だし。さんざん悩みに悩んで、ある日ふと思ったんです。どうせ仕事を変えるなら好きなことをしよう。じゃあ答えは簡単、映画をつくるんだと。躊躇はありませんでした。人生は一度きり。後悔のないように生きようと決めたんです。

どこの国で何をしてても映画を作ることだけ考えている。
つまり僕は映画の国の住人。
だから〝シネマ・ドリフター”。

会社を辞めたのは何才のときですか?

リム: 30才のときですね。

世間からみるとなかなかいい年齢ですよね。そこからどうしたんですか?

リム: 北京の映画学校に入りました。映画づくりの知識やノウハウはなかったので。

えっ? 北京にですか?

リム: 日本には当時そういった学校が少なかった。あっても学費が高い。いろいろ調べた結果、北京の学校が一番安かったんです。生活費も安くすむし。永住権の問題がなければもっと早く行けていたかもしれないですけど。それもまたタイミングです。

そこから映画監督になるための修行が始まった。

リム: そう。でも北京の映画学校、半年で辞めたんですよ。やっぱり現場で実践的に学んだほうが早いなと。そこから僕のドリフター生活が始まるんですけど。

監督が自称する“シネマ・ドリフター”ですね。それってどういった生活なんですか?

リム: 僕、放浪癖があるんですよ。というのには理由があって。学校を辞めたあと映画の現場に入ったり、短編をつくったりしていたんです。でもお金もなくなっていくし、映画の現場も年中あるわけじゃない。そんなとき何をするかというと、日本に行ってアルバイトするんです。出稼ぎに。20万円くらい稼いだら、今度はお金がかからず楽しくすごせる場所に旅立つ。カンボジア、バンコク、ベトナム……。バックパッカーとして放浪するんです。そのほうが安く暮らせるし、多くのことを吸収できる。そうやって自覚したんです。自分は「流れ者」だって。

映画監督リム・カーワイ インタビュー エゴイストとして生きる覚悟

アジアを旅するさすらい人だ。放浪して何か見えてきたものありました?

リム: 自分は映画が好きなんだなとあらためて気づきました。映画を撮る準備として、風景や人々を目に焼きつけている。どこで何をしていても映画のことばかり考えているんです。僕は自分のことを“映画”という国の住人であると思っている。そのために漂流しているんですから。だから“シネマ・ドリフター”なんです。

映画監督リム・カーワイ インタビュー エゴイストとして生きる覚悟
映画監督リム・カーワイ インタビュー エゴイストとして生きる覚悟

かっこいい! でも30才にしてまたゼロから何かを始めるって不安じゃなかったですか? ましてや映画監督ってなんかハードルが高そうですし。

リム: それがそうでもない。僕は、昔からあまり将来のことを考えない性格。今40才なんですけど老後のことなんてまったく考えてもいない。たしかに不安要素はありました。それは自分のことではなく、当時付き合っていた彼女や自分の家族に対して。心配させてるんだろうなって。僕は家族や地元の人たちに期待され日本に留学し、日本の企業に就職した。彼らからすればエリートに見えていたと思う。だけど実は僕はそんなものに興味はないし、どうでもよかったんですよ。

体裁なんてどうでもいいから、自分のやりたいことをやろうと。

リム: そう。つまらない人生を送るのはうんざりだった。でも両親にとっては「せっかく自分の息子を海外に送り出したのに」という思がある。最初の1年間は生活費も出してまらっていましたからね。それなのに仕事を辞め、安定を捨てて何の保障もない映画監督に転職したわけですから。心配しますよね。

でも、やりたいことをやって、幸せで元気に暮らしている姿を見れば両親もうれしいと思いますけどね。

リム: 今でもすごく心配されてますよ。マレーシアの人々の映画に対する観念はハリウッドか香港映画だから。自主制作の映画についてはまったく知らないし、公開のチャンスもない。だから僕が映画を撮ったって言ってもあやしまれている。有名な役者が出てないからね。「なんであなたの映画にはジャッキー・チェンが出てないの?」と聞いてくるから。出るわけないじゃんって(笑)。

なるほど、いろんな問題があるんですね(笑)。

リム: こればっかりは説明がしづらいんですよね。

もう僕は走り続けるしかない。止まると死んでしまう。

映画監督リム・カーワイ インタビュー エゴイストとして生きる覚悟

「恋するミナミ」に出演している小橋賢児さんが、インタビューで、「自分のやっていることは仕事という感覚はない」と言っていたのが印象的だったんですが、監督はどうですか?

リム: 仕事というより全部ひっくるめて「人生」ですかね。仕事というのは、始まりがあって、終わりがある。そして給料がもらえる。僕がやっていることはお金にならない(笑)。それにいつ始まったかもわからないし、いつ終わるのかもわからない。そう考えるとやっぱり仕事じゃないですね。今40歳なんで、うまくいけばあと30年は生きれる。お金とか、そういった物理的なものより、残った人生をいかに楽しくやっていくかが重要。そのために映画監督という道を選んだんです。

人生か、深いですね。では、映画監督=人生を続けるために必要なことって何ですか?

リム: まず、撮りたい題材があるか。2つ目は資金。3つ目はスタッフと自分のイメージした役者がいるかどうか。これさえ整えば映画はどこでも撮れると思っています。あと、その環境をつくるために拠点も必要なのかなと。そろそろ僕も次のステップを考ないといけない時期かもしれないですね。

えっ? “ドリフター”ではなくなるかもしれない?

リム: そう。映画監督を続けるためには、次作を撮る環境をしっかり整える必要があると感じてきて。流れ者生活をしているとそれがなかなかできなくなってきている。大阪を拠点にしようかなと。大阪を舞台として2作品をつくり、思い入れもあるし、いろんな出会いも増えたので。

東京に拠点を置く人が多いなかで、大阪にする理由ってなんですか?

リム: アジア的なところです。そこが好き。僕は大学の時に4年間大阪、その後東京に10数年住みました。東京に移りたての頃は、人のクールさに違和感を感じて。慣れるとそれが居心地いいこともある。周りが冷たいわけじゃなく、お互いを尊重しあっている雰囲気。でも僕はもっと人と密に接していたい。それで大阪が舞台の『新世界の夜明け』という作品を撮ったときにあらためて気づいた「大阪はアジア的だ」って。フレンドリーなんですよ。街も人も。

定住することが新たなステージだと考えるとワクワクしますね。

リム: 僕は止まると死んでしまうから。やるしかない。行動し続けるしかない。もう取り返しもつないところまできている。だから走るしかない。若い頃は映画を観すぎて、それこそストーリーの主人公のように「こんなこともしたい」「あんなこともしたい」と思ってました。でも今は映画を撮るしかない。自分の好きなことを突き詰めるしかないと思っています。

映画監督リム・カーワイ インタビュー エゴイストとして生きる覚悟

言い切れるところが本当にすごいことだと思います。なかなかできることじゃないですから。ちなみに今大阪に住んでいるんですか?

リム: いえないんです。

言えないですか…すいません、秘密なんですね。

リム: いや違います。”言えない”じゃない。”家ない”んですよ(笑)。まだ流れ者ですから、日本で定住する家を決めてない。バックパッカー生活ですよ。リュックサックひとつに必要なものを全部入れて。大阪や東京を行ったり来たり。昔はキャリーバックを使ってたんですけど、今じゃ小さいリュックで十分。

リュックひとつですか! ちなみにそのリュックってどで買ったものです?

リム: メイドインチャイナ。特にブランドとかじゃない。こだわってないんですよ。荷物が入ればなんでも変わらないですよ。自分にとって本当に必要なものにだけ、こだわりが有ればそれでいい。

映画監督リム・カーワイ インタビュー エゴイストとして生きる覚悟

家がない映画監督って聞いたことないですよね。でも、その生活はうらやましくも感じます! そんな監督の今後の夢は?

リム: 作品を撮り続けること。自分のなかに残る作品を作りたい。これまでの作品も残るかもしれないですが、「もっとこういう映画をつくりたい」という野心は尽きない。今はまだその準備段階。だから撮り続けるんです。撮り続けていると、また撮りたいものが必ず出てくる。その繰り返しですね。

何かやってみたいけど、なかなか踏み出せずにいる人たちに向けて、監督自身の経験からアドバイスをください。

リム: 周りを見ていて思うのですが、踏み出さない人はいつも他人のためだと言い訳をしている。家族だとか恋人だとか。“絆”を断ち切ることができない。さらにいうと"絆”は建前で、本当は自分のため。他人の前で失敗したくない、かっこ悪く見られたくないだけ。自分のために、利己主義になる覚悟を持っていない。でもそれじゃだめだ。もっと自分のために生きないと。みじめでもけなされても自由に生きる勇気、覚悟が必要。家族を言い訳にしてはいけない。親不孝といわれるかもしれないけど、僕は自分らしく生きている。少なくても言い訳や後悔はしないです。

“動き出す”って簡単なことですか?

リム: 簡単です。やればいいだけなんですから。みんな知らないかもしれないけど、映画に限らず何をつくるにしても1作目は、まずカタチにできる。「初めて」ということは特権であって、一生懸命頼めばみんな協力してくれる。作りたいテーマも見えた状態でスタートするわけですし。難しいのは2つ3つと続けて行くこと。断言しますが、一歩目も踏み出せない人は考え過ぎですよ。「かっこ良く思われたい」「このカタチじゃないといやだ」って理想を語ってるだけで踏み出さない。もったいないよ。本気でやれば1作目は必ず形にできるから、本当に。動いてからたっぷり考えたらいい。つくった後も、結局悩みはつきないからね(笑)。

彼はほんと気さくでなんでも包み隠さずしゃべってくれた。
時折ジョークも交えながら場を盛り上げてくれて、
おちゃめって言葉がよく似合う人だった。

会う前に『恋するミナミ』を観てきたんだけど、
いろんな話を聞いているうちに
もう一度観てみたいって心の底から思ったよ。
今後の作品も本当に楽しみ。

林 家威(リム・カーワイ)

1973年、マレーシアのクアラルンプール出身。1998年大阪大学基礎工学部電気工学科卒業。 通信会社で6年間エンジニアとして勤めた後、2004年9月に北京電影学院の監督コースに入学。2009年、北京で撮影した『アフター・オール・ディーズ・イヤーズ』で長編デビュー。2010年香港国際映画祭、大阪アジアン 映画祭、サンパウロ国際映画祭に公式招待される。2010年、第2作目『マジック&ロス』を香港で撮影し、釜山国際映画祭で初上映され話題を呼ぶ。同年、 立て続けに撮った第3作目『新世界の夜明け』ではCO2(シネアスト・オーガニゼーション大阪)の観客賞&技術賞をダブル受賞。待望の新作2『Fly Me To Minami~恋するミナミ~』が現在、オーディトリウム渋谷ほか全国公開中。

映画監督リム・カーワイ インタビュー エゴイストとして生きる覚悟

2013 FLY ME TO MINAMI -恋するミナミ- All Rights Reserved.

『Fly Me To Minami〜恋するミナミ~』
監督:リム・カーワイ
出演:シェリーン・ウォン、ぺク・ソルア、小橋賢児、竹財輝之助、藤真美穂、石村友見
配給:Duckbill Entertainment
オーディトリウム渋谷ほか全国公開中

公式サイト:http://flyme2minami.com/

小橋賢児インタビュー 新しい仕事のつくりかた
小橋賢児インタビュー 新しい仕事のつくりかた

仕事が面白くない、やりたいことはあっても金も時間も才能もないって
言い訳するのは簡単だけど、つまり現状に満足していないってことだよね?

よくわかるよ、MOUTAKUSANDA!!! MAGAZINE編集部はそういった
うだつの上がらないヤツらの寄せ集めが、フラストレーションの反動で
メディアを作っちゃったようなもんだから。

でも、形にするまではけっこう大変なこともあって。
想像したら何となくわかると思うけど、金がないって問題は大人の知恵を活用して、
時間は寝ないで作ることにして、才能とセンスの部分は
自分たちじゃわからないから、ただ好き放題やることに決めた。
そして、自分たち以上に好き放題やっている人にだけ会いに行くようにした。

そしたら、面白い人に会うチャンスがどんどん増えてくるんだから、やってみるもんだよね。
実は今回話を聞く小橋賢児っていう人も、ちょっと一筋縄ではいかないクセモノで、
何でも人気絶頂だったときに俳優を休業して世界を放浪、
今は映画の監督をしたり、海外のフェスティバルを日本に持ち込んだりしているらしい。

会ってみて、彼が本当に最高な人だったってことは断言できる。
七咲友梨っていうこれまた最高のフォトグラファーが撮りおろした写真を見れば、
ここで説明しなくても彼の魅力は伝わるよね?

小橋健児が6年ぶりに俳優復帰したことでも話題の映画
『恋するミナミ』を見るまえに、ぜひ今回のインタビューを読んでいってほしいと思っている。
彼のパーソナリティを知ったら、もっといろいろな角度から楽しめるはず。

映画はみんなにはお馴染みのエリア渋谷円山町にあるシアター、
オーディトリウム渋谷で公開中だから、チェックしてみて。

  • 撮影/七咲友梨
  • 構成・インタビュー/山若将也

本当に最悪な時期って、
次のステップに進む直前に訪れるもの。
そこで諦めるのか、危険でもドキドキする
道を選ぶのかっていうことなんです。

小橋賢児インタビュー 新しい仕事のつくりかた

INTERVIEW

自分をすり減らす日々に危機感を覚えた。
自分のアンテナが鈍っていくことが怖かった。

6年ぶりの俳優復帰作となる『恋するミナミ』、公開おめでとうございます。

小橋:ありがとうございます。

俳優を休業して海外を放浪し、帰国後は映画監督に音楽フェスティバルのディレクションと、多彩な活動ですよね。今日は、そんな自分らしいスタイルのつくりかたについて聞きたいと思います。まず、今の活動に至った経緯を教えて下さい。

小橋:僕、8歳から芸能界にいるんですよ。普通の学生生活を送っていなくて、自分の将来を考える余裕もないまま仕事に追われて、気づけば20代前半。「こんなことできるんじゃないか」「あんなこともやってみたい」と思いながら、毎日の忙しさを言い訳に先延ばしにしていたんです。
そんな状態が続くうち、自分の意思を抑える癖がついていました。その状態も通り過ぎると、だんだん無感情になってくるんです。仕事を淡々とこなしているような。それに、日本の芸能界って遊ぶ場所も厳しく制限されることも多いんです。本当に忙しかった時期は毎日少しずつ自分を無くしている感覚でした。

その状態から、どうやって脱出したんですか?

小橋:30才の自分をイメージしてみたんです。ほら、よく「男は30才から」って言われるじゃないですか?このまま30才まで芸能界で頑張っていれば、それなりのポジションと生活が手に入るだろう。表面的には成功して見えるかもしれないけど、きっと自分の心は喜ばないままだ、と。
「この場所にいきたい」「これを見たい」「こんな生活をしたい」という気持ちを抑えて芸能人という立場にしがみついている自分。「それって俺なのかな?」って、怖くなったんです。26才頃ですね。それで、自分の知らない世界に飛び込んでみたくなって、周りの人に相談したら「ネパール行ったら?」って。

ネパールには元々興味があったんですか?

小橋:いや、むしろ全く知らない国で。「少年アシベ」でスガオ君が住んでたなってくらいの知識(笑)。

懐かしい!

小橋:それくらい何の知識もない場所だから、逆に行ってみたいと思ったんです。当時は英語も「how much?」くらいしか知らない状態で。

芸能界とはすごく遠い世界ですよね、きっと。

小橋:僕も昔はストリートで遊んで、危なっかしいこともたくさん経験して、その中で刺激や影響を受けていたんです。でも芸能界にいると、例えば飲みに行くにしてもバレないように個室の居酒屋を選ぶようになってきちゃうんですよね。

小橋賢児インタビュー 新しい仕事のつくりかた

守りに入ってくるんですね。

小橋:そう。守りに入った状態だと、自分のアンテナの感度が鈍ってくるんですよ。美しい景色を見ても感動しなくなったり。俳優という仕事はアウトプットしないといけないのに、インプット不足になっている。

その状態でネパールに行った、と。

小橋:ネパールで自然の素晴らしさを感じて過ごすうちに、自分の心が開けていくのを感じましたね。

特に印象に残っている出来事はありますか?

小橋:現地で同い年の男の子と仲良くなって、僕が「夕日見るのが好きなんだ」といったら、バイクで景色のいい丘に連れて行ってくれて。そのときに、なぜか彼の背中が大きく見えて号泣しちゃったんです。人間力っていうのかな、生きる力とか、誰かを守る愛とか。力強さを感じて。彼は家にも招待してくれたんですよ。すごく狭い家に奥さんと娘と暮らしていて、明らかに自分よりお金のない生活なんです。

全く価値観の違う世界ですよね。

小橋:僕は日本の芸能界にいて、「キャー」って歓声を浴びることもあるし、それなりにいいマンションに住んでもいるけど、それってすごく表面的なことで。自分の気持ちをごまかしながら生きている僕では、人間としての力が比べ物にならないと思いました。

それがきっかけで俳優を休もうと思ったんですか?

小橋:いや、そこで何か決定的なことに気づいたわけじゃないんです。でも、「なんだろうこの違いは?」っていう感覚は強烈に残った。

「しないといけない」ではなく、
「したい」から始める。

ネパールに行き、全く違うライフスタイルに出会った。その後日本に戻ってどうしたんですか?

小橋:俳優の仕事に戻ったんですが、すべてが嘘くさく見えてしまって。「みんな芸能界にいるために、自分をごまかしていないか?」って。自分自身に対してもより強く思いましたね。とにかくいろいろなものに違和感を感じて。

ストリートのノリだったり、自然からのインスピレーションに影響を受けたり。そういった価値観は元々強く持っていたんですか?

小橋:本来はそういう人間なんですよ。ただ、忙しくなってくると「クラブで遊んでるとイメージが悪くなる」とか言われたりして。だんだん面倒くさくなってきて、刺激のある場所に行かないようになっていましたね。

小橋賢児インタビュー 新しい仕事のつくりかた

元々ストリートカルチャー、ユースカルチャーが好きな人だったのに、芸能活動を続ける中で、閉じ込められていったっていう。

小橋:ネパールがきっかけで、その本来の自分と向き合い直した感じですね。「このまましがみついていても先が見えている。それならもう、どんどん行っちゃえ!」って、今度は27才でアメリカに渡って。

How muchだけのボキャブラリーで(笑)。

小橋:そうそう(笑)。向こうの学校に通ったりもしながら、アメリカ横断の旅に出たり。旅の目的地が偶然WMC(Winter Music conference。毎年マイアミで開催され、世界中の名だたるDJが集結。昼夜を問わずマイアミ中で様々なパーティーが開催される)っていう時季で。そこで偶然会った友達のDJが教えてくれて、「ULTRA MUSIC FESTIVAL」っていう音楽のお祭りに参加したんです。そこから縁があって、今は僕が日本のULTRAのディレクターをやっているんです。

Agehaでのイベントも大盛況だったようですね。

小橋:海外での出会いやインプットがきっかけで、自分の人生がどんどん開いていていきました。旅で感じたことや、素晴らしい経験って他にもたくさんあるんです。でも、それを飲みの席で語っても、鬱陶しいじゃないですか?(笑)

確かにいる、そういう人(笑)。せっかくいい話なんだけど、こちらとの温度差があって伝わりづらいっていう。

小橋:酒飲みながら語るより、もっと素敵な形で伝たい思って始めたのが映像の編集。旅で撮った映像に音楽をつけて5分くらいのDVDにまとめて友達にあげていたらすごく評判がよくて。

それが映画を作ろうと思ったきっかけですか?

小橋:いや、別に映画監督になろうとしたわけじゃないんですよ。最初は単純に自分の感動をシェアしたいっていうだけ。でも、結果的には休業中に世界を周ったことが映画やフェスティバルという今の活動に自然に繋がってきているんです。

仕事のつくり方が変わったんですね。やっぱり意識の面でも大きな変化はあったんですか?

小橋:俳優として活動していた頃は「こうしないといけない」って頭で考えて仕事をしていたんです。でも今は「これが楽しい、こうしたい」から始めるようになりました。

それってすごく感覚的ですよね。そのように変わったブレイクスルーのような体験はありますか?

小橋:わかりやすいのはやっぱりネパール。あとは20代最後に肝臓を壊して倒れちゃったことかな。2ヶ月くらいまともに動けなかったんです。

2か月も! ちなみに、体調を崩した原因って何だったんですか?

小橋:精神的なストレスだと思うんですよね。海外にいる時は何でもできるような気がするけど、いざ日本に戻ってきたら社会の現実に対面して。「じゃあ具体的に何をしようか」っていうところで壁にぶつかっちゃったんです。長く世界を旅していた人、留学から戻った人は経験することがあると思うんですが。

万能感があるようなハイな状態で日本に帰ってくるけど、実際に戻ってみたら、現実的な問題に直面して、思っていたようには進まない。そのギャップにやられてしまう。僕も似た経験があります。

小橋:動き出すたびにトラブルに見舞われて。それに、8才から俳優一筋でやってきたから、突然他のことを始めてもうまくいかないんです。ストレスが貯まっていたんでしょうね、気づけば寝たきりのような状態でした。病院に行ったら肝臓の数値が大変なことになっていて。

小橋賢児インタビュー 新しい仕事のつくりかた

小橋賢児インタビュー 新しい仕事のつくりかた

それがいつ頃ですか?

小橋:30才になる3ヶ月前ですね。体を治すために茅ヶ崎に移り住んだんです。海で泳いだり、トレイルランをしたりジムに通ったりっていう生活を続けていたら、治すどころか3ヶ月後にはめちゃくちゃムキムキになっちゃってて(笑)。

極端ですね(笑)。

小橋:でも、一度落ちた経験は決して悪くなかったですね。落ち込んだときって、細かい感情の動きに敏感になるんですよね。落ち込んだ中でも小さく気分が上がったり、またふさぎ込んだりする自分を強く感じられる。自分だけじゃなく、人の心の動きに対しても。

最悪な時期って、次のステップに進む
直前まで来ているサインだと思う。

落ち込むことをポジティブに考えるようになったのって、何がきっかけだったんですか?

小橋:映画を作ったことですね。「DON'T STOP」というドキュメンタリー映画の編集をしているときでした。口げんかのシーンがあるんですが、実際は5時間くらい口論しているものを、5分にまとめないといけない。僕の編集によって、どうにでも印象が変わるわけですよね。着地点をどこに持って行くかがすごく難しい。そのときに、精神的にどん底だった時に人間の感情を敏感にキャッチした経験が助けになりましたね。

1点を見つめると最悪なことはいっぱいあると思うんです。そんなときは、少し目線を引いて全体を見るようにします。最悪なことがないと辿り着けなかった場所がある。気づけなかったこともたくさんある。だから今は何が起こっても怖くないですよ。そういえば、31才の誕生日にすごく象徴的な体験をして。一人で富士山に登ったんです。山頂で誕生日を迎えようと思って。

えっ、一人で!?

小橋:そう、一人。一緒に行ってくれる人がいなかっただけなんですけどね(笑)。9合目までたどり着いたところで天候が荒れて。下山するか、山小屋で一晩明かすかっていう状況になったんです。

そこであきらめると日付が変わる瞬間には間に合わないわけですね。

小橋:そう。そこで、自分は試されていると思ったんです。「ネガティブになったらこの天気のままだろう、ポジティブに考えれば道は開けるかもしれない」って。雨雲の先の山頂がきれいに晴れている様子をイメージしたら、本当にスッっと雨が止んだんですよ。「今だ!」と一気に山頂まで登り切りました。たどり着くと、その悪条件ので登って来たのは僕一人で(笑)。そこで目にしたのは、夕焼けに虹がかかって、遠くの方に雷が見える、この世のものとは思えないような景色。最高でした。

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誕生日の瞬間を頂上で迎えられたんですね?

小橋:それが、ギリギリだったんですよ。夜まで疲れて寝ちゃってて、パッと起きたら23:59。ヤバい!と思って外に駆け出すと、びっくりするくらいの満天の星空。完全にハイになって朝まで眠れず、雲海から昇る朝日を眺めていました。9合目で「誕生日なのに最悪だ」って思っていたら、もしかすると、状況は変わってなかったかもしれない。一瞬の晴れ間を見つけて登頂する気力もわかなかっただろうし。

20代の頃だったら心は折れていたかもしれないですよね?

小橋:昔の僕だったら「こういうものなんだ」ってあきらめてたと思いますね。あきらめる理由を見つける方が楽ですから。
僕が監督した「Don’t Stop!」という映画で追いかけたCAPさんという人は、車イスで生活しているんですけど、「障害を、やりたいことがあっても実現できない言い訳にしてしまう」と言っていて。僕も「芸能界にいるから、忙しいから、感じなくても仕方が無い」って思ってしまっていました。でも、そうじゃないじゃんって。未来や人生って自分で選んで、作って行くものだから。芸能界に縛られる必要も、誰かが思う“芸能人”のイメージにこだわることもない。今日みたいに俳優やってるときも、昨日みたいに音楽フェスティバルのディレクターやってるときもあっていい。

そうやって“いわゆる芸能人”、“いわゆる俳優”の枠を外れていくことに不安は感じなかったですか? ある面では今まで手に入れたものを手放すことになるかもしれないですよね。

小橋:考え方が切り替わってからは、そういった不安は感じなくなりましたね。30才手前で寝たきりになったときも、正直キツかったですよ。でも、死にたくなるくらい落ちていても、最後のゴールのギリギリまでは試されてるんだと思うんです。試されて、乗り越えられたときにポーンと壁を抜けるというか。

富士山のときもそうでしたよね。

小橋:自然に教えられることは多いですよ。あと、TED(アメリカで生まれたプレゼンテーションの番組)でベストセラー作家の人が同じことを話してて。本を書いていると、完成直前に最悪な状態になるらしいんです。全く出口が見つからなくで、完成をあきらめたくなるほど悩んで追いつめられたときに、ポンって抜けるらしいんです。だから、最悪な状態って、実は次のステップに進む一歩手前にいると思うんです。そこであきらめる人は多いかもしれないけど、本当はすごくもったいない。

逆にいうと落ち込む時期こそチャンスだと。

小橋:問われているわけですよ。「お前はどっちに行くんだ?」って。できない理由を探してあきらめるのか、先に進むために踏ん張るのか。

好きなことに、もっともっと時間とエネルギーを使うんです。

MOUTAKUSANDA!!! MAGAZINEの読者には20代後半〜30代前半くらいの人が多いんです。この世代ってある程度仕事もできるようになって楽しさも知ってきたけど、一方で「他に新しいことをやりたい」「もっと面白いことがしたい」っていう気持ちも強まってくると思うんです。

小橋賢児インタビュー 新しい仕事のつくりかた

小橋:よくわかります。このまま先の見えた危険の無い人生を選ぶのか、危なくても魅力的な道に進むのか。考えますよね。危険な道に踏み出すのは勇気がいるし、方法論がわからないこともある。新しいチャレンジは、最初はハードルが高く見えるんだけど、そのハードルに直面する事自体が大切だと思っていて。

プロセス自体に意味があるっていうことですか?

小橋:例えば同じ山を登るにしても、自分の足で歩くのと、ヘリで頂上に降り立つのでは全く違うじゃないですか? 趣味でも何でも、もっとエネルギーと時間を使ったらいいですよ。別に仕事だけじゃないと思うんですよ、ドキドキすることって。頑張らない理由を見つけるのは簡単ですけどね。何かやりたいっていう気持ちがあるのなら、どっちを選ぶ方が楽しいかって考えてみて。
好きなことの延長が仕事になることも大いにありえますから。僕がそうだったみたいに。全ての仕事って、最初は名前が無かったはずなんです。スティーブ・ジョブズだって最初は何者か理解されなかったと思うし、さかのぼれば、デザイナーや建築家、サラリーマンだって同じ。職業として認識されていなかった時代に誰かが始めて、次第に仕事として成り立っていったはず。

では、小橋さん自身、これからチャレンジしていきたい事は?

小橋:僕の活動って、まさに職業として言い表しにくいものだと思うんです。イベントディレクターをやりながら映画監督や俳優もっていうスタイルを、「片手間でやりやがって」って思う人もいるかもしれない。でも、自分の中ではイベントも映画も根っこは同じで「何か気づきのきっかけになる場を創りたい」っていうこと。自分がヤバいと思う感覚を共有できたら最高だって。それがひと晩のイベントなのか、90分の映画なのかっていうアウトプットが違うだけで。だから、僕の活動を面白いと感じてくれる人、同じように場を作る人が増えて、職業として成立していったら素敵だと思いますね。

ちなみに、今の活動は仕事だと思ってます?

小橋:いや、まったく感じてないですね(笑)。自分がおもしろいと思うこと、ドキドキする方を選んでいるだけですから。仕事として割り切っている感覚は、なくなりましたよ。

「映画のプロモーションやイベントで一週間まともに寝ていない」という
彼の体調を心配したんだけど、逆に話しているこっちがエネルギーを
もらってしまうくらいパワフルで驚いた。
撮影中にも「最近リキッドダブステップていう音にハマっていて」と
YOUTUBEでMIX音源を聞かせてくれるくらいフレンドリー。
ちなみにその曲はすごくクールで、彼のディレクションするフェス
「ULTRA JAPAN」がますます楽しみになったよ。

小橋賢児インタビュー 新しい仕事のつくりかた

そんな彼が「その熱意に負けて海外の予定をキャンセルして撮影に望んだ」という人物が、
映画監督のリム・カーワイだ。次回は後編として、
映画『恋するミナミ』の監督・リム・カーワイのインタビューを掲載する。

小橋賢児(こはし・けんじ)

1979年8月19日生まれ、東京都出身。俳優として、テレビ、映画、舞台など様々なメディアで活躍。代表作に『スワロウテイル』『ちゅらさん』など。2007年に俳優を休業し、世界中を放浪。2012年、初の長編映画『DON’T STOP!』で映画監督デビュー。2013年『Fly Me To Minami~恋するミナミ~』で6年ぶりとなる映画出演。他にもイベントプロデュースやPV監督など幅広く活動し、ULTRA JAPAN 2014のクリエイティブディレクターも努める。
Web Site: http://www.kenji-kohashi.com/

小橋賢児インタビュー 新しい仕事のつくりかた

2013 FLY ME TO MINAMI -恋するミナミ- All Rights Reserved.


『Fly Me To Minami〜恋するミナミ~』
監督:リム・カーワイ
出演:シェリーン・ウォン、ぺク・ソルア、小橋賢児、竹財輝之助、藤真美穂、石村友見
配給:Duckbill Entertainment
オーディトリウム渋谷ほか全国公開中
公式サイト:http://flyme2minami.com/
今回の撮影を担当した写真家・七咲友梨は、この企画をきっかけに、
1月11日(土)にリム・カーワイ監督とのトークショーを行うことになった。
オーディトリウム渋谷で『恋するミナミ』上映後に開催。詳細は下記から。
http://flyme2minami.com/event/
連載「DJ嶋田のぶんぶんのポップス50音順」第3回<う>
連載「DJ嶋田のぶんぶんのポップス50音順」第3回<う>

空を見ろ
星を見ろ
宇宙を見ろ

今晩は12月24日、クリスマス・イブ。

人々が、聖なる夜を家族や恋人、友人達との
かけがえのない一時を過ごしているこの今も、
ここ北アメリカ航空宇宙防衛司令部では
アメリカとカナダ中から集められた優秀な隊員達が
北アメリカの上空と遥かなる宇宙空間の安全守るため、
暗い夜の闇の監視を続けている。
今夜の任務はアメリカ上空を飛来する予定の サンタクロースの追跡である。
かつてアメリカが共産主義・社会主義陣営、
いわゆる「赤(アカ)」の脅威と対峙していた冷戦時代から、
同じく「赤」であるサンタクロースの移動を
毎年、12月24日から25日にかけて
24時間体制で追跡しているのだが、 その日追跡レーダーにとらえられた
かなたからせまりくる赤い火は、サンタクロースではなかった。
あれは何? あれは敵? あれはなんだ?

…ということで、かなり適当なウルトラ警備隊的ナレーションで
はじまりましたが(分かる?)北アメリカ航空宇宙防衛司令部は
アメリカとカナダが共同で運営する実在の組織で、
彼らがイブから、クリスマス当日にかけて
サンタクロースの追跡を行っていることも事実であり、
また、この原稿をタイプしているただ今の時間は
日付もとうに変わった25日の午前3時。
こちらは一人、You Tubeの監視を続けていることも また残念な事実。
「メリークリスマス、わし!」 なんて文字も、無表情でタイプしている
アラサー男子、DJ嶋田のぶんぶんがお送りする
「DJ嶋田のぶんぶんのポップス50音順」の時間です。

ということで、「あ」から始まり「ん」で終わるまで、
毎回50音順に一字ずつ、その文字からはじまる
ナウな ポップ・ソングを毎週お届けするこの連載。
「い」に続く第3回は「う」!
サンタクロースはもうやって来ない、1980年代生まれの少年・少女に贈ります、
「ウルトラマン タロウ」!

作詞は阿久悠、作曲は川口真という 70年代歌謡界のウルトラ兄弟。
(ちなみに、この番組が放映された1973年、 阿久悠は
ペドロ&カプリシャスの「ジョニィへの伝言」で
日本レコード大賞・作詞賞を受賞。 川口真は、新人賞に輝いた
安西まりあの「涙の太陽」に 編曲で名前を連ねています)

子供向けの特撮ドラマの主題歌を謳いながら、
開始1秒目から、すでに悪い 歌謡曲の香りがただよっていますが、
その期待をまったくもって裏切らない、ワウ全開でぶっ飛ばすウルトラ歌謡曲。
そもそも、歌謡曲にワウなんぞは、改造車かバイクに乗ってる不良の音楽と
相場が決まっているわけですが…

「見て!あのボンネットにランプくっつけた赤い車、 兎瑠賭羅(ウルトラ)の首領(ヘッド)やってるタロウさんの車だよ」

「タロウさん、本気(マジ)で気合い入っているよねー。 ねぇねぇ、ミーコってタロウさんとどこまでいったの? Cいっちゃったとか?」

「もうっ!やめてよ、ケイコ! タロウさんは、あたいのことなんて、見ちゃいないよ。 集会で会っても、口もきいてくれないし…。  でも、あたい…、初めてはアノ人って決めてるんだ。」

「…ミーコ、あんた、本気(マジ)でタロウさんに惚れてるんだね。」

なんていう架空の不良ロマンポルノ (タイトルは『3分でイカせて』)のセリフが
どこからともなく聞こえてきそうな(こない?)
縦ノリでも横ノリでもない、“前ノメリ”という、素晴らしい歌謡曲の
グルーブを感じながら今夜はこの辺でお別れ、 デュワッ!

バックナンバーはこちら

連載「15歳の品格」
連載「15歳の品格」
編集部で唯一30歳を超えているシトズカと申します。
今年も残すところあとわずか。
MOUTAKUSANDA!!! MAGAZINE編集部で先日、
お餅つきを開催したのですが、僕は原稿に追われている
ため部屋の窓からその様子を見るので精一杯でした。
そんな姿を気の毒に思ったのか、
編集長が僕のところに近づいてきまして
「キサマオナカスイテル?」
と聞かれたので、
「答えはイエスだ」
と言い返してやりますと、
偽2000円札を渡され
「コレデピザデモトリナサイ」
と優しい言葉とともに去っていかれました。
あぁ、僕も編集長のようになりたい!
そんな思いで今回も「30歳」というお題のもと
自分勝手なオハナシを書きましたので、
ながら作業の合間にご覧いただければこれ幸いでございます。

ーこれまでのハイライトー

ある日少年はシャワーを浴びているときに
胸に1本の長い宝毛を発見する。
なんとなく抜けずにいると次第に気になる存在に。
不本意に抜けてなくなってしまうことを恐れた少年は
宝毛をさまざまな危険から守ることを決意する。
ガチャガチャのカプセルで宝毛を覆って眠りにつくなど
宝毛を守護するために試行錯誤の策を練るのだが、
明日、学校では柔道の授業が待ち受けていた。

■バックナンバー第一話 運命のダダダダーンッッ


第二話 灯りをつけるな

目覚ましが鳴る前に起きあがった。
半球を固定していたガムテームにリアクションを
とりながら恐る恐るはがしていく。
くっきりとついた丸型の中心には、
ひらがなの「る」の形をした宝毛ちゃんがいた。
よしミッションコンプリート。
問題は今日の体育だな。よりによって柔道とは。
サボってしまうか……、いや今日は避けられても、
明後日も同じ問題にぶち当たる。
今やるべきことは逃げるのではなく、
打開策を見つけることだ。
安心しろよ、お前は俺が守ってやる!
自然と湧いてくる使命感。
この感覚はなんなんだ? これが愛というやつなのか?
自分のなかで新しい何かが目覚めてSPARKしそうな気分だ。

鼻息荒くしていると突然部屋のドアが開いた。
「何べんも呼んどんのになんで返事もせんのじゃ!
うん? あんたなんしとんの?」
母親が現れたのだ。
その瞬間、なぜか女の子のようにバスト部分を
布団で隠してしまった。さらに
「な、なんもないわい。むこういけや!」
と、激しい動揺時にありがちな
語気を荒げてごまかすという
パワープレーに出てしまった。
これじゃあなんかありますと言っている
みたいなもんじゃないか。
「……。ごはんできてるわ。はよ食べや」
少し変な間があったあと、何かを察したかのように
母親は部屋を出て行った。
親に空気読まさせてしまい申し訳ない。そう思いながら
胸元に目をやると、こやつもすまなさそうに身を縮めている。
「る」の文字に一層磨きがかかり、とぐろを巻いていた。
へびでいうところの究極の防御スタイル。
あんた生きる術知ってるね。という視線を宝毛に送ると、
目が合ったような気がして少しはにかんでしまった。

早々に朝食を済まして歯を磨く。
うーん、打開策が見当たらない。
かつてこれほどまでに朝から脳を
フル回転させたことはあっただろうか。
あーでもない、こーでもないと考えながら部屋へ戻り、
ビニール袋をいい感じのサイズに切りとり胸元に当て、
さらにその上にガーゼを被せホワイトテープで
しっかりとめたあと、制服に着替えて家を出た。
もちろん予備のビニール袋、ガーゼ、テープは
ポケットにインしてある。怪しげな顔をしている母を
横目に頭のなかは柔道のことでいっぱいだ。
最寄駅まで自転車で15分、そこから電車で30分、
さらにバスで10分ほど行った西の果てに
通称「こけし(こけし高)」と呼ばれる僕が通う
学校がある。由来は単純だ。その昔、男子生徒がみんな
丸坊主であったことでこけしに似ていると
誰かが言い出したらしい。

通学は約1時間。そこで僕は宝毛を守るためにある
チャレンジをすることにした。
「横断歩道は白い部分だけを踏む」
「駅と駅の間は息を止め続ける」
「道中ずっと左利きのフリをする」など
自分にさまざまな試練を与えたのだ。
この『風雲!たけし城』ばりの道のりを
コンプリートして無事学校にたどり着けば、
今日一日何があっても宝毛を守り抜くことができる。
もしできなければ宝毛に危機が迫る。
そんな曖昧で自分寄りの勝手なルールをつくり、
懸命にミッションに励んだ。
途中、息継ぎ二回ありにルール変更し、
「今のはノーカウント」を何度か使い
ようやく校舎が見えるところまでやってこれた。
よくやった、よくやったぞ僕!
この苦労きっと神様は見ている。
変な達成感と自信に満ちたところで、
深呼吸をひとつし校門をくぐった。

1時限目、僕は秘策を考えるのを一旦やめ、
新しいノートと鉛筆を取り出した。
今日からこいつと過ごす日々を日記に
書き留めていくいことにしたのだ。
そして、愛着を深めるため、名前をつけ
「桑名」と命名した。
この「桑名」は敬愛するミュージシャン桑名正博
から拝借したものだ。
桑名を好きな理由は「月のあかり」という曲、
そして「THE夜もヒッパレ」という
音楽番組での彼のパフォーマンスが
とても素晴らしかったからだ。
桑名が歌い上げる曲はアレンジの域を超えており、
もはやオリジナルといっても過言ではなかった。
枠にとらわれない攻め続ける姿勢。
思春期だった僕にビンビン突き刺さる。
もうひとり尾崎紀世彦もかなり曲者であったが
ちょっとアクが強すぎた。

ともあれ、今日から宝毛改め「桑名」。
僕に“心友”ができた。フフフッと自然にこぼれてくる笑み。
「桑名」という文字を何度も書いては、
ほくそ笑んでいたその時だった。
先生が僕のノートを取り上げ
「この桑名ってなんかいな?」
と無垢な顔して聞いてきた。右手には“お仕置き棒”と呼ばれる
長さ30センチくらいの木の棒を持っている。
あぁ、たけし城はコンプリートしたはずなのに……。

連載「15歳の品格」

ぶん・いらすと/シトズカ

第三話に続く・・・

写真連載『組体操BOYS』 vol.01
写真連載『組体操BOYS』 vol.01
“組体操BOYS”
この企画については正直、詳細もコンセプトも全貌を掴みきれていない。
「おや?」と思ってくれたらそれで十分な気もするし、 最近ホットな話題に困っているブログやfacebookで「アホなやつらを見つけた」ってネタとして使ってもらってもいい。
万が一にも無いとは思うけど、「これなら俺もできるかも!」と、人生に行き詰まりを感じている誰かに間違った一筋の光を与えたり、もしくは寛容な現代アートのキュレーターにハプニングアートの極北として受け入れられたなら、彼らも本望だろう。

もし、自分たちでもやってみたというツワモノがいたらぜひ編集部に知らせてほしい。
彼らとコラボレーションしたいっていうクレイジーな人も、気が向いたら連絡を。

そもそもこれに何の意味があるって? そんな質問はヤボってものだ。
考えるな、感じろっていう名言に説明はすべて任せておいて、まずは見てほしい。
彼らの熱い体操プログラムを――。

写真連載『組体操BOYS』 vol.01

「SEIRETSU」組体操BOYS×8


写真連載『組体操BOYS』 vol.01
写真連載『組体操BOYS』 vol.01
写真連載『組体操BOYS』 vol.01
写真連載『組体操BOYS』 vol.01

「KIBASEN FIGHT」組体操BOYS×8


写真連載『組体操BOYS』 vol.01

「PYRAMID」組体操BOYS×8

※vol.02へ続く 不定期連載で随時更新予定(彼らのパフォーマンスが続く限り)。

edit&text / 吉田亀吉

アトランタの人気者 DISTALインタビュー
アトランタの人気者 DISTALインタビュー
BASS MUSICフェス「SOUNDGRAM」と「MOUTAKUSANDA!!! MAGAZINE」の
コラボコンテンツ第3弾は、アトランタから来日した
人気プロデューサー/DJ、「DISTAL」のインタビューだ。

Dubstep, Juke, Technnoなど様々な音楽を縦横無尽にMIXしながら
フロアを湧かせるプレイは、29才にしてすでにベテランの貫禄。
もちろん、日本にも大勢のファンがいる。

その証拠に、SOUNDGRAMでのプレイ時には、
DISTAL目当てで詰めかけたオーディエンスによって渋谷GLADのフロアが占拠され、
全員が彼の激しくてアッパーな音に合わせて飛び跳ねるものだから
狂乱のお祭り状態と化したくらいだ。

フロアに奇跡的な熱狂をもたらしたショーの後に、
興奮冷めやらぬDISTALにインタビューの機会を得た。

頭の中がスパークしてることがこちらまで伝わってくるハイテンションだったけど、
話してる内容はすごくクレバーで真面目な面もあって、彼のことが大好きになった。

オタクでもある彼は、有り金全部使うほど秋葉原のヨドバシカメラが大好きなんだって。

DISTAL(でぃすたる)

アトランタ出身のエレクトロニックアーティスト。2010年初頭にレーベル「Embassy Recordings」を始動。同年に伝説的レーベル「Soul Jazz Records」がリリースしたVA 「 Future Bass」にMala、Four Tet等のそうそうたるアーティストと並びトラックを提供。世界的なクラブの一つのロンドンFabricでプレイした経験も。Grizzly, Fortified Audio, Frite Nite, Trouble & Bass等のレーベルから12枚のヴァイナルをリリース。2012年にTectonicより14曲入りのアルバム"Civilization"をドロップし、今後も続々とリリース予定。

soundcloud: https://soundcloud.com/distal

  • photography/北岡稔章
  • interview&text/山若将也
  • thanx/SOUNDGRAM , Alexsander Zeebol

俺の音が好きだと思ってくれている
人がいたらコンタクトを取ってほしい。
一緒になにかできたら最高だと思うよ。

Hi! DISTAL.How’s it going?

やあDISTAL、調子どう?

This track is somebody on my label, Mite. That's weird, no one really plays it ever. It's very underground. …MOUTAKUSANDA!!!

なあ、今DJがかけてる曲、うちのレーベルのクルーが作ったやつだよ! 驚いた、今まで誰かがかけてるの聞いたことないよ。すごくアンダーグラウンドのものなんだよ。(取材クルーのTシャツを見て) ん? モウタクサンダ!!!

アトランタの人気者 DISTALインタビュー

MOUTAKUSANDA!!! Tシャツを気に入ってくれたのでプレゼントした。

How long are you staying in Japan?

今回はどれくらい日本にいるの?

Until Monday. So a total of 6 days.. or 7? 6 days.

月曜までだね。だから全部で6日、いや7日? …6日だね。

How are you feeling about Japan?

日本はどう?

However somebody would feel 200 years from now, if they travel to another planet. I think Japan is the closest thing you can get to visiting another planet on earth.

そうだな、”別の惑星に旅行したような気分が味わえる場所”って感じだね。まるで200年先の世界にタイムスリップしたみたいに何もかも刺激的だよ。地球上にいながら惑星旅行を体験するにはうってつけの国。

What are the biggest differences between US, Japan?

日本とアメリカで、どういった部分に大きな違いを感じる?

I think Japan, they're way more open to everything. UK and US.. it's just that they seem to filter things out a lot more, they kind of walk away a little bit sooner. The Japanese can definitely appreciate almost everything.

日本は全てのものに対してオープンな価値観を持っていると思う。アメリカやイングランドだと、色々なものをフィルターにかけて見る傾向が強い。物事をすぐに消費してしまう。日本は感謝の心があるよね、何に対しても。

How about music?

音楽についてはどう?

I'm playing a party with breakcore, and I've never played breakcore outside of Wisconsin and Pittsburg or my own city of Atlanta so it's cool to be at a party playing breakcore, jungle, grime, hip hop and trap and dubstep, and what I play.. it's everything, it's amazing!

俺はパーティーでブレイクコアをプレイしているわけだけど、今までウィスコンシンやピッツバーグ、俺のホームタウンでもあるアトランタ以外の場所でプレイすることってめったになかったんだ。だから今こうやって日本でブレイクコアやジャングル、グライム、ヒップホップ、ダブステップ、トラップ(アトランタ発祥のヒップホップから派生した音楽)なんかがかかるパーティーに参加できていることが最高に嬉しいよ!

How do you feel about rave music scene in Japan?

日本のそういったレイブミュージックシーンについてはどう感じてる?

I really feel like you guys are having this kind of rave rebirth and it's something I feel like the UK went through and the US went through, and it feels like it's happening right now. There are so many good artists here, so many good DJs and there are so many good parties. It's like in this tight bubble though. I think you guys need to be like uwaaa and explode. You guys are on top of it right now and you're doing it you know.

レイブミュージックが再評価されていることを強く感じるね。イングランドやアメリカを通りすぎて、今まさにここ日本で事件が起こっているんだ。いいアーティストやDJ、パーティーも多いよね。でも今はまだ小さな泡の中でムーブメントが起こっている印象。日本のみんなは、その泡を爆発させるつもりでやってほしい。君たちは幸運にも、ムーブメントのまっただ中にいるわけだからさ。

Anything else?

他にもある?

And you're paying homage to old stuff and new stuff and stuff in between. It's something beautiful that I don't think a lot of other countries are doing. It makes coming here even more pleasurable for me because you've got all of that.

あとは、日本人は古い物にも、新しい物にも、もちろんその間の物にも敬意を払っていると感じる。素晴らしいことだよ。だから日本に来ることはすごく楽しいんだ。

Do you have any favorite places in Japan?

日本でお気に入りのスポットってある?

Yodobashi-Akiba! I went there couple of days ago and I spent most of the money I made probably on the 2 dollar surprise action figure with the plastic balls?

何と言ってもヨドバシAKIBA! 数日前に行ったんだけど、持っていた現金ほとんど全部使っちゃたよ。プラスチックボール入りの200円のアクションフィギュアを大量に買って。あれ、なんていうの?

It’s called “GASHA-PON”.

ガシャポンだね。

Oh yeah, I just loaded up on those, the toys, the video games, and everything; it's really great! I'm a nerd and I collect things ,so that was really awesome. That and…Disk Union. So those 2 places.

そうなんだ! もう、夢中で買い物してたよ。おもちゃとかビデオゲームとかね。俺はナード(=オタク)でコレクターだからさ、最高の場所だった! あとディスクユニオン。その2つだね。

アトランタの人気者 DISTALインタビュー

彼はシンプソンズの大ファンらしい。

What was the first CD you ever bought?

ちなみに、初めて買ったCDって何?

The first CD I bought? The first CD I ever bought was Primus.Do you know Primus? It's a weird funk alternative band and it was called Pork Soda. And actually, the bassist, Les Claypool.. I think it was my first appreciation for nice bass lines.. weird bass lines and weird take on music.

生まれて初めて買ったCDってこと? 「プライマス」だな、知ってる? オルタナティブファンクをやってた風変わりなバンドで、「Pork Soda」っていうタイトルのアルバムだった。ベーシストがレス・クレイプールって人で、人生で初めてベースラインでブッとばされたんだ。彼のベースラインは独特だね。

How old were you when you bought the CD?

ちなみにそれっていくつのとき?

When I was 11.

11才の頃。

Do you have any message to Japanese fans?

日本のファンにメッセージはある?

like people that enjoy my music. Reach out to me! I'll send you free stuff! And Let me know, and I'll let you guys know!

俺の音を楽しんでくれるひとは大好きだよ。もしそういう人がいるなら、ぜひ連絡してほしいな。フリーの曲を送るからさ。存在を教えてほしいし、俺もみんなに自分を知ってほしいんだ。

I heard that a lot of guys came to this party for the sake of your play.

君目当てで今日のパーティーに来た人もいっぱいいるみたいだよ。

just didn't know I had as many fans here as I do. I played last night in Osaka and here, and I heard at least 6-7 of my tracks being played by other people and I didn't even know that my stuff made it over here! So to me, I just want to say.. say what's up! Got to keep a connection. It's a beautiful country, beautiful people, beautiful art, and we should be working together.

日本にこんなにファンがいるなんて知らなかったんだ。昨日は大阪、今日は渋谷のパーティーでプレイしたんだけど、少なくても6〜7回は、他のDJが俺の曲をかけてるのを聴いんだ。俺の曲がこんな使われてるってことすら知らなかったんだ。だからみんな言いたいのは、「調子どう? 繋がっていこう、コンタクトをとろうぜ」ってこと。日本は美しい国だし、人もアートも素晴らしい。日本の人たちと一緒に何かできたら最高だと思うよ。

連載「DJ嶋田のぶんぶんのポップス50音順」第2回 <い>
連載「DJ嶋田のぶんぶんのポップス50音順」第2回 <い>
地方都市和歌山を拠点に活動する私的シティポップDJ・嶋田のぶんぶん。
彼が愛してやまない国産ポップスを50音順に紹介する連載エッセイ。
NYやイビザにいるDJの名前を誇らしげに並べ立てられる奴と
自国の音楽を哀愁と羞恥とリスペクトをもって語れる奴、
どっちが愛せるかっていったら、わかるよね?
つまりそういうお話。
  • 文/DJ嶋田のぶんぶん
  • 編集・題字/山若将也

ナウシカのクローンである綾波レイとともに、
エヴァンゲリンと名付けられた巨神兵を操り、
ウルトラマンのいない現代で異世界から来た怪獣と
街を破壊しながら戦う碇シンジは 映画『風の谷のナウシカ』の
作画監督時代の庵野秀明自身。そして碇ゲンドウは宮崎駿。

言わずと知れた、夢と狂気の王国スタジオジブリでの
筆舌につくしがたい経験(トラウマ)を、うまく言葉にできない
感情にまかせてロボットアニメに昇華したものが、
『新世紀エヴァンゲリオン』だと信じているのですが、
とにかく、映画『エヴァンゲリオン 破』の巨大なスクリーン
いっぱいにエヴァが傾斜するビルを足場に駆け抜けるシーンには
ただただ、「紙に描かれたロボットの画(え)を動かしたい!」
というアニメーションの原始的な初期騒動を感じて目頭が熱くなりました。
これと同じ光景をどこかで見たことがある気がするのは、
デジャ・ブではなく、その前年宮崎駿が『崖の上のポニョ』で、
ポニョが波の上を駆け抜けるシーンで 一足先に到達していた境地。
その場所を示すのに、 故ブルース・リーの言葉を借りるならば、
「Don’t Think,Feel! 考えるな、感じろ!」。

というわけで、 「MOUTAKUSANDA!!!」と投げださずに、
ここまでスクロールを下ってくださった皆様を相手取り
始まりました、DJ嶋田のぶんぶんのポップス50音順。

高速道路インターの降り口に掲げられた看板広告、
ラブホテルにパチンコと葬祭場がこの街の最大公約数、
地方シティー和歌山から今晩は、DJ嶋田のぶんぶんです。

毎回50音順に一文字ずつ、 その文字からはじまる
ポップソングを紹介するこの連載、第1回「あ」に
つづく2回目は「い」!

ということで、沖田浩之で「E気持ち」!
※今回はライブバージョンでお届けいたします。

「俺をよろしく」「半熟期」「はみだしチャンピオン」に
「お前にマラリア」などなど、フロアを熱いと寒いが交互に襲う、
まさにマラリア的にヤバい名曲が雁首をそろえる(10年ほど前に
訳あってマラリアを患いましたが、本当に熱いと寒いが
2時間おきに襲ってきました)アイドル沖田浩之のデビューシングルが、
作詞に阿木陽子、作曲に筒美京平を迎えた「E気持ち」。

「死語」という言葉がすでに「死語」という現代において
「A=キス、B=ペッティング、C=セックス」の〈ABC〉から、
「D=出来ちゃった」を飛ばしてE気持ち!なんて
自分でキーボードを叩きながら
「28歳にもなって、一人夜な夜な何やってんだ」と 
己が因果にため息ひとつこぼれおちる死語解説ももはや蛇足!
ABCが何であろう!  考えるな、感じろ! E気持ちを!!
今の時期、振付を完コピして忘年会へ臨めば、一夜明けたら誰でもヒーロー間違いなし!

「A!B!C! A!B!C!」
(イントロでは左手!右手!クロス!×2回)

「A!B!C! A!B!C!」
(サビでは右手で三角形を描いて!)

「はぁーあーん」
(腕を回して)

「E気持ち!」
(何かをつかみとれ!)

・・・何をつかみ取るのかは君に任せる。
なぜなら、 その時にはすでに「何か」はベッドの中で君を待っているから。
なんてな「円楽のプレイボーイ講座」風にお別れ!(分らない人はYou tubeで検索!)

皆様Eお年を! まーたねー!

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第1回「あ」 小林旭「アキラでボサ・ノバ」

連載「大人のブカツ」vol.02  SPINCOLLECTIF TOKYO
連載「大人のブカツ」vol.02  SPINCOLLECTIF TOKYO
「仕事と遊びの境界って何だ?」
「純粋に好きなことを仕事にするって可能なのか?」
「もしくは仕事を遊びのように楽しむことはできるのか?」
君もうすうす感づいているように、多分答えはYESだ。
とはいえ始め方もわからないし、踏み出す勇気が出ないまんま
気がつけばそろそろいい大人、って人も多いはず。
じゃあ、実際に自分なりのライフスタイルを見つけて
全力で毎日を遊んでいる大人たちに会ってみよう。
彼らの活動は、お金儲けが目的じゃなくて、
最高に楽しくて、最高に辛くても仲間がいるから乗り越えられて、
最高に気持ちよくて、最高に悔しくて、
うまくいったときはたまにモテたりもして、
きっとブカツみたいなものかもしれない。
ただの趣味だと言い訳して、本気を出さないのはもう終わり。
週末に使う金を稼ぐ為に平日の時間を売るのもそろそろおしまいにしよう。
好きなことをとことん楽しむライフスタイルを
見つけるためインタビュー連載「大人のブカツ」。

毎日革命が起きて変化していく中で、
昔と同じルールは信じていられない。
信じられるのは、自分が好きなことだけ。

彼らのことを説明するには、まずは下の動画をチェックしてもらうのが早い。
初めて見る人は、フリスビーに抱くイメージが180°変わるはずだ。
公園でカップルがイチャつくための道具でも、愛犬の運動不足解消用のおもちゃでもなく
都市を自分らしく自由に遊ぶための最高にクールなツールだって。

彼らのクルーの名前はSPINCOLLECTIF TOKYO。
上のビデオでプレイしているSPINCOLLECTIF PARI'Sの兄弟チームで、
東京を拠点にフリスビーカルチャーを発信している。
POPEYEやGO OUTなどの雑誌や、様々なギャラリーでの展示、
YOUTUBEのビデオなどで知っている人も多いはず。

今回は、その中心メンバーであるアラケン、タカシの2人のインタビュー&フォトセッションを行った。
写真はもちろん、彼らのプレイの様子がわかるgif動画にも注目してほしい。

  • photography/北岡稔章
  • edit&text/山若将也
SPINCOLLECTIF TOKYO(スピンコレクティフトウキョウ)

連載「大人のブカツ」vol.02  SPINCOLLECTIF TOKYO

ヨーロッパを中心に活動するdisque de rue(=ストリートフリスビー)クルーSPIN COLLECTIF PARISの兄弟チームとして、荒内健治(アラケン)と寺田天志(タカシ)の2人で結成。フリスビーカルチャーを日本から発信すべく、全国のフェスやギャラリー、ミュージアムなどでワークショップやイベントを開催。ファンタジスタ歌磨呂、GraphersRock、愛☆まどんななど親交のあるクリエイターとコラボしたオリジナルフリスビーの制作、東京を一大フリスビーアトラクションエリアとして再開発するプロジェクト「TOKYO FRISBEE PARK」など活動は多岐に渡る。

Web
http://www.spincollectiftokyo.com/
https://camp-fire.jp/projects/view/508
https://vimeo.com/62921277

取材の話を持ちかけるため、事前に彼らとコンタクトを取った。
「今度GOOUT CAMPでワークショップをするので、
もしタイミングが合えば遊びにきて下さい。雰囲気もわかると思うので」
さっそく撮影クルーは静岡県のふもとっぱらキャンプ場で行われた
キャンプイベント「GO OUT CAMP」に潜入した。

連載「大人のブカツ」vol.02  SPINCOLLECTIF TOKYO
連載「大人のブカツ」vol.02  SPINCOLLECTIF TOKYO
連載「大人のブカツ」vol.02  SPINCOLLECTIF TOKYO
連載「大人のブカツ」vol.02  SPINCOLLECTIF TOKYO
連載「大人のブカツ」vol.02  SPINCOLLECTIF TOKYO
連載「大人のブカツ」vol.02  SPINCOLLECTIF TOKYO

SPIN COLLECTIF TOKYOによるGO OUT CAMPの人気アクティビティ「Catch&Throw」。
参加者はフリスビーの裏に思い思いのメッセージを書き込み、全員同時に何度も投げ合いシャッフルする。
最後に手にしたフリスビーには誰かからのメッセージが書いてあるという仕組み。
今回の参加者約300人が同時にカラフルなフリスビーを投げる様子は圧巻だった。
そして、フリスビーの、単純にスポーツとして以外の魅力をさらに知りたくなり、すぐに彼らにストリートでのフォトセッションを依頼することにした。
この日は富士山をバックに最高の1枚をシュートして、来年のGO OUT CAMPを楽しみにしながら東京へ戻った。

連載「大人のブカツ」vol.02  SPINCOLLECTIF TOKYO
GO OUT CAMP

アウトドアファッション誌「GO OUT」が主催するキャンプイン型の野外イベント。
GO OUT CAMP vol.9では、七尾旅人、neco眠る、掟ポルシェなど人気アーティストによるライブや、ヨガやキャンドル作りなどのワークショップ、ファッションスナップなど充実のコンテンツが2日間にわたって開催された。GO OUTのWEBSHOPでは、SPINCOLLECTIF×GO OUTのスペシャルなフリスビーも購入できるのでぜひチェック。

GO OUT:http://www.goout.jp/
GO OUT CAMP:http://www.gooutcamp.jp/goc_vol09/index.html

数週間後彼らから届いた、待ち合わせ場所を指定したメールには、住所だけが書いてあった。
Googlemapによると、青山の某医療系教育施設を示している。
その格式張った施設名を見ると、ストリートカルチャーやヒッピーカルチャーに
影響を受けて育ったであろう彼らが、セキュリティに呼び止められずに入れるような
カジュアルな場所ではなさそうだし、逆にその施設の方が
彼らに何かの用事があるということもないだろう。

「ここにいいポイントがあるから適当にジャムって、
六本木方向に流れていきましょう」

待ち合わせ場所に現れた彼らと握手をかわして簡単な挨拶をすませると、
そういっておもむろにフリスビーを取り出した。

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